#02「迷惑な住人」

公開日: : 最終更新日:2015/07/16 ネタ話

014

横浜のアパートに引っ越して四度目の夏の中にいた。

全く涼しくならない夏の終わりの夜だった。クーラーの調子が悪く、窓を全快に開け、思い出したようにときおり吹く夜風だけが、まとわりつくような暑さをしのいでくれた。寝苦しい夜は、ラジオを聴いて過ごすのが最近の日課となっていた。今夜もお気に入りの一曲がラジカセのスピーカーから、僕の耳に心地よく響いている。

そのとき、突然、地鳴りのような足音が天井を揺らした。

数カ月前の春の出来事がすぐに浮かんだ。穏やかな日ざしに横浜の街が包まれた4月、2階の部屋に大学生が、引っ越してきた。その次ぎの日曜日、1回目のそれが六畳間の僕の部屋の天井を揺らした。

「ドシーン!ドシーン!!」

初め、部屋の空気までも震わせる音を、2階に巨大な何かが落ちてきたのかと思った。何ごとかと、あわてて裸足で外へ出て2階のベランダを見上げるとそこには物干竿にかかった白い空手道着が 風に揺れているのが目に止まった。

その地鳴りのような足音の正体は、空手の練習からくるものだと予想がついた。

なんどか我慢を重ねたある日。そのことで僕は一度だけ管理人のおばさんに彼のことを注意してもらったことがある。その後、嘘のように足音がしなくなった。それからは、台風が過ぎた次の日の朝みたいに快適な日々が続いていた。しかし、再びこの六畳間の天井にその嵐はやってきた。深夜に突然、彼は叩き付けるような足音を響かせてきたのだ。

「うるさいんだよ。」
と僕は、天井に向かって叫びたかったが、それは言えなかった。

空手道部の彼には言えなかった。

「くそぉー、まったくよう、本当に迷惑な住人だ。」
と小さな声で口にして、ラジオの音を大きくして抵抗している自分がいた。しばらくすると、またあの地鳴りのような足音が天井から落ちてきた。僕はそのことに明らかに苛立っていた。
「人がせっかく気持ちよくラジオを聴いているのに、ふざけるなよ。」
今度こそ行動にでるべきか、短い時間の中で思いを走らせた。だが、僕はさらにラジオのボリュームを大きくして、しばらく彼の次ぎの行動を待つことにした。

そのとき、突然僕の部屋のドアを誰かがノックした。

こんな夜中に誰だろうと、思いを巡らせた。さらに、ドアは強い力でノックされた。ドアが 踊るように震えている。恐る恐る僕はドアの隙間から顔をだした。そこには、顔を赤くふくらませた管理人のおばさんとその後ろに2階の大学生の男が仁王立ちしていた。

「篠部さん、いいかげんにしてください。」
凄い剣幕で、管理人のおばさんが言った。

「上のものなんですけど、うるさいんですよ。音!」

「音?」
僕は初め、男が何を言っているのかわからなかった。

「ラジカセの音ですよ。」

管理人さんが続けた。その言葉は僕の予想を裏切った。

「明日、大切な試合があるんです。だから、早く眠らなければいけないのにラジカセの音がうるさくて眠れないんですよ。」

僕は視界のはじの方で、全快に開けられた窓ガラスと鳴り響くラジカセに目を走らせた。短い時間で事件の方程式を解く一つの流れが頭の中を駆け抜けた。

開けられた窓

漏れる大きなラジオの音

届く2階の彼の部屋

苛立つ空手道部の大学生

足音で伝える怒りのサイン

それに気付かずさらに大きくなるラジオの音

つ ま り 今回のあの足音は空手の練習ではなく、鳴り響くラジオの騒音に対する、怒りの抵抗だったんだ。事件の原因は自分。僕が加害者で彼が被害者。

 

迷惑な住人は他ならぬ、この僕だったんだ。

 

29歳にもなって大学生に怒られる自分ていったい…….?

その真実を知り、僕は言葉を完全に見失ってしまった。気後れと恥ずかしさがこんがらがって背中のあたりに汗が噴き出し、喉が異様に渇いた。小さくなった僕のすぐ先で二人の眼が容赦なく突き刺さってくる。
「すみませんでした。」
蚊のなくような小さな声をなんとか絞りだすのが精一杯だった。その声は午前0時の夏の終わりに情けなく溶けていった。この身体も一緒に溶けてしまえばいいのに。僕はありえないことを念じるように思った。


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