#47「婆ちゃんが教えてくれたこと」

公開日: : 最終更新日:2016/02/15 色々

batyan2008
毎年の恒例行事で、年末年始は実家の栃木に帰省した。

元旦は親戚が10人くらい集まり、新年会。2日は母と一緒に病院へ足を運び、入院している婆ちゃんに会いに出かけた。

痴呆が進んでいるから、誰が誰だかわかっているのかどうかも分からない状態。それでも、しわくちゃな手を握るとギュッと握り返してきて、暖かい温もりが伝わってきた。

食べやすく、やわらかいペースト状の食事を婆ちゃんの口元へ運ぶ母。今日は食欲があるらしく、人通りのメニューを胃の中に流し込んだ。

今は、まともに話すこともできないほど、老いてしまったけど婆ちゃんにも若く青春と呼ばれる時代があった。

「婆ちゃんは鹿児島で生まれて、爺ちゃんと出会って、結婚したんだよ。」

母が笑って話しかけると、婆ちゃんも一緒に笑う。

「それから東京の製鉄工場に就職して、子供が生まれたんだけど、戦時中だったから、栄養不足だったんだろうね、亡くなっちゃったの。咲子っていう名前でね。それから母さんが生まれて、3歳くらいの頃かなぁ、終戦間際に東京に空襲があって、爺ちゃんを東京に残して、婆ちゃんと一緒に汽車で30時間くらいかけて、鹿児島に戻ってきたんだよ。戦争が終わって、爺ちゃんが東京から栃木の製鉄工場に移ったから、みんなで足利へ引っ越してきたの。」

婆ちゃんが鹿児島出身だったことも、母に幼い頃に亡くなってしまった姉がいたことも、初めて知った。身近過ぎるからこそ、知っているようで知らないことが、実はたくさんあることに今更気づく。

人は必ず老いること。時間には必ず限りがあること。この時代に生まれることができたのは、とても恵まれていること。

そんな普段考えないようなことを、婆ちゃんはいつも気づかせてくれる。だから実家に帰るたびに、婆ちゃんに会いたくなるし、その姿を写真として残したくなる。

あと何回会えるかわからないけど、これからも、しわくちゃな手にカメラを向けたいと思う。

婆ちゃんが教えてくれた大切なことを、日々忘れないために。

baatyannote


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